思考ルートの第一学習社版では、鷲田清一「じぶん・この不思議な存在」も収録されています。
「自己と他者」の講義中、ボーイフレンドと別れた女子学生の回答になぜ最高点を付けたのか、という面白い出だしから始まる本は、「自分」というアイデンティティを探り始める中高生にとっておもしろく読めるのではないかと思います。
また、阪神淡路大震災の時のボランティアを題材に、「ポジティヴな受け身」の意義についても述べられています。「何かをしてあげる」という行為は、その背景に「してあげる人―してもらう人」という関係を構築します。そこに、<ボランティア>の持つ暴力性も見え隠れします。
「ただ、その場にいること」「他者にとっての他者であることを引き受けること」、その意味はエピローグで書かれているように「問題なのは常に具体的な「だれか」としての他者、つまりわたしの他者であり、したがって<わたしはだれ?>という問いに一般的な解は存在しない」と説明されます。
あの日を目前に控えた今、改めて考えてみたいテーマです。
ちなみに、鷲田先生は大阪大学の総長を務められましたが、関西では相手のことを「じぶん」と呼びます。言語的に自分と他者の境界を逆転させる文化の歴史的背景を探るのも面白いかもしれませんね。
http://www.amazon.co.jp/じぶん・この不思議な存在-講談社現代新書「ジュネス」-鷲田-清一/dp/4061493159/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1362537999&sr=8-1
「自己と他者」の講義中、ボーイフレンドと別れた女子学生の回答になぜ最高点を付けたのか、という面白い出だしから始まる本は、「自分」というアイデンティティを探り始める中高生にとっておもしろく読めるのではないかと思います。
また、阪神淡路大震災の時のボランティアを題材に、「ポジティヴな受け身」の意義についても述べられています。「何かをしてあげる」という行為は、その背景に「してあげる人―してもらう人」という関係を構築します。そこに、<ボランティア>の持つ暴力性も見え隠れします。
「ただ、その場にいること」「他者にとっての他者であることを引き受けること」、その意味はエピローグで書かれているように「問題なのは常に具体的な「だれか」としての他者、つまりわたしの他者であり、したがって<わたしはだれ?>という問いに一般的な解は存在しない」と説明されます。
あの日を目前に控えた今、改めて考えてみたいテーマです。
ちなみに、鷲田先生は大阪大学の総長を務められましたが、関西では相手のことを「じぶん」と呼びます。言語的に自分と他者の境界を逆転させる文化の歴史的背景を探るのも面白いかもしれませんね。
http://www.amazon.co.jp/じぶん・この不思議な存在-講談社現代新書「ジュネス」-鷲田-清一/dp/4061493159/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1362537999&sr=8-1
0 件のコメント:
コメントを投稿