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2013年11月14日木曜日

成果をどう定義し、検証するか

論理エンジンを導入している学校に活用状況を伺いに行きますが、具体的な教育成果や影響について話される先生はそれほど多くありません。

先週伺った中国地方の学校でも、中学2年生までにOS3を終わらせますが、その効果について質問しましても「論理エンジンだけをしているわけではないので」とお答えになります。
教科書は東書、別に記述力をつけるための問題集をしているということでした。

中学2年生の終わりでOS3は結構順調な方だと思いますが、先生の感想としては「簡単だし、文も短いので」と問題は感じておられない様でした。

新版になり冊子がスリム化したことで扱いやすくなったという感想は他校と同じです。なお、誌上講義は中1から中2に上がる春休みの宿題です。

週に一コマ、毎週1レベル進むペースで、基本的に宿題にしていた箇所を授業内で答え合わせしていく、という授業展開です。

確かに教育活動はこちらが意図していない部分も含めて影響がありますし、「こうしたからこうなった」という直線的な関係で捉えてしまう<科学的>な思考に拘泥することは危険な面もあります。
しかし、意図的で、反省(省察)の対象となる教育活動を教育実践と呼ぶならば、教師側としては「こうしたからこうなるだろう(なってほしいなぁ)」という思いを持ち、検証することは必要なのだと思います。

よくよく話を伺っていますと、「基本的な文章の捉え方については役立っている」「例えば、主述の関係や具体・抽象の捉え方の練習になっている」ということでした。

冒頭の「論理エンジンだけをしているわけではない」という言葉は、教育活動をより全体的に(ホリスティック)に捉える教育家としての姿勢だったのかもしれない、と、訪問時の記録的な暑さとともに思い返しています。

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