以前、石原千秋先生のことについて記事を書きました。
その際は受験国語に関する本を中心にしましたが、
石原先生は夏目漱石に関する本もいくつか書かれています。
ご本人は、テキストに即して解釈するテキスト論の研究者であるということから、著者の人物像に迫り、これを解釈の中に含めることについては慎重な立場をとられています。したがって、夏目漱石に関しては、想いが高じて、というところもあるのでしょうか。
比較的わかりやすかったのは、
漱石と三人の読者
という新書です。
なぜ「こころ」が国語教科書の定番となったのか。
なぜ女子高生受けが悪いのか。(石原先生は教科書の編成委員も務めていらっしゃいました。)
それは、当時「こころ」が対象としていた読者層を考えてみるとわかる、という点が面白いです。
当時、大学教授という職から朝日新聞の専属となったこと、当時の新聞を購読した層と現在朝日新聞を読む層の違い、文壇から離れ木曜会という集まりが目に見える読者として存在していたこと、漱石を取り巻く風景を描くなかで、なぜ漱石が実験的な試みを行い、小説の可能性を追求したのかがわかりやすく書かれています。
始まりと終わりという枠が決まっていることが小説を形づくっていて、その中で読者に多様な読みを可能にする仕掛けを漱石は作ったと言います。こうした読みの可能性という観点から「虞美人草」などの作品を比較する観点も面白いです。
論理エンジンに基づく小説の解読は、その読みの確かさ、つまり根拠と道筋を明確に言語化することを意識してトレーニングする必要がありそうです。
「こころ」については、
「こころ」 大人になれなかった先生
も参考になります。
先生が書いた手紙は、とても折りたためるような長さではない、という指摘などが面白いです。
その際は受験国語に関する本を中心にしましたが、
石原先生は夏目漱石に関する本もいくつか書かれています。
ご本人は、テキストに即して解釈するテキスト論の研究者であるということから、著者の人物像に迫り、これを解釈の中に含めることについては慎重な立場をとられています。したがって、夏目漱石に関しては、想いが高じて、というところもあるのでしょうか。
比較的わかりやすかったのは、
漱石と三人の読者
という新書です。
なぜ「こころ」が国語教科書の定番となったのか。
なぜ女子高生受けが悪いのか。(石原先生は教科書の編成委員も務めていらっしゃいました。)
それは、当時「こころ」が対象としていた読者層を考えてみるとわかる、という点が面白いです。
当時、大学教授という職から朝日新聞の専属となったこと、当時の新聞を購読した層と現在朝日新聞を読む層の違い、文壇から離れ木曜会という集まりが目に見える読者として存在していたこと、漱石を取り巻く風景を描くなかで、なぜ漱石が実験的な試みを行い、小説の可能性を追求したのかがわかりやすく書かれています。
始まりと終わりという枠が決まっていることが小説を形づくっていて、その中で読者に多様な読みを可能にする仕掛けを漱石は作ったと言います。こうした読みの可能性という観点から「虞美人草」などの作品を比較する観点も面白いです。
論理エンジンに基づく小説の解読は、その読みの確かさ、つまり根拠と道筋を明確に言語化することを意識してトレーニングする必要がありそうです。
「こころ」については、
「こころ」 大人になれなかった先生
も参考になります。
先生が書いた手紙は、とても折りたためるような長さではない、という指摘などが面白いです。
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